しかし、スーパーカーと呼ばれる乗り物は街乗りには全く適していませんね(笑)
車って快適さや利便性のために開発されたものなのに逆に乗れば疲れる見たいな。
しかも、僕が乗っているランボルギーニってフェラーリとかのスーパーカーよりも故障しにくいと聞いていたのに、普通に故障しますからね。
つくづく日本製の車のクオリティの高さを日々感じている次第です。
まぁ、故障と言ってもランニングの部分であったり、クラッチ関連の不具合なのでガッツリ目な故障ではないのですが。
ただ、割と高めのホテルの駐車場なんかに行く時はスロープの上り下りで、めちゃめちゃクラッチが消耗するんですよね。
以前ランボのガヤルドってやつに乗っていたんですが、これはマジですぐにクラッチを交換が必要でした。
早い時だと、7000キロぐらいで交換しないといけませんからね(苦笑)
とは言っても、年間乗用車一台分ぐらいで維持費はいけるのでそこまで嘆く額ではありませんが。
あとはドア関連の不具合ですね。
特にセキュリティに力を入れた場合なんかはすぐ不具合がおこります。
なぜ僕がランボルギーニに乗るのか
今現在で大企業になっていたり、高級ブランドになっているものって第二次世界大戦での敗戦国が多いのってご存知ですか?
例えば、日本ならば松下電気やホンダやトヨタ。
欧州で言えば、高級車は大体ドイツやイタリアから出てきています。
特にドイツは高級志向の乗用車。
イタリアはスーパーカーが多い。
決まっているのはどれも戦争の敗戦国なわけです。
なぜなら、ボロボロに戦争で負けた後のハングリーな気持ちがそのまま企業理念いなっていたりする会社が多く、その気合でここまでの企業になったケースが多かったりします。
「今は何もないが絶対に這い上がったる!今に見てろ!」的な。
そして僕はそういった”行動の理念や動機”に惹かれているんですよね。
そういう理念的なものに価値と共感を感じたので僕はランボに乗っているという感じ。
つまり、ランボルギーニの見た目やステータスを求めて乗っているわけではなく、あくまでもそういう理念の部分を基準にして僕はランボを選んで乗っているということです。
実際、ランボルギーニのフェルッチオ・ランボルギーニは敗戦後のイタリアの中があまりにもトラック不足になっているところに目をつけて売って今のランボの原型ができたわけなので。
そういうところ。
だって街中で乗る分には利便性的なものは最悪ですからランボルギーニって(笑)
それだけ考えれば余裕でプリウスの方がいいですからね。マジで。
ただこれってネットビジネスとかにもかなり通じる部分があると僕は思います。
というのも、情報商材やそのノウハウ内容ってもうコモディティ化してるんですよね。
(コモディティ化というのは簡単に言えばどれも一緒ということです)
もちろん、「そんなところに目をつけるか」みたいなんノウハウはたまにでたりしますが、それ以外は大体同じ。
特にアフィリエイトや情報商材を販売して大きな額のお金を稼いでいく手法なんかはノウハウ自体はそんなにかわりません。
そう考えた時に大事なことっていうのは、「誰に教えてもらうのか」あるいは「誰からその情報を購入するのか」という部分。
または「そのアフィリエイターなり、インフォプレナーがどのような理念で活動しているのか」そのあたりに着目すべきではないのかと。
つまり、そのノウハウ自体ではなくその人物や理念を識別対象にしていくことがこれからの時代には必要なんじゃないかなと思うわけです。
例えば、僕が乗っているランボルギーニだって乗り心地やコスト面なんかを考えるといいことはあまりありません。
はっきり言えば、その点を考慮するのであれば今すぐ日本車に乗り換えるべきだと思います。
ただ僕はランボルギーニ、しいて言えば創業者のフェルッチオ・ランボルギーニの理念やその人そのものに共感して魅力を感じているんですね。
だから、どれほどクラッチに不具合が頻繁に生じても乗り続けているのです。